『阪急電車 片道15分の奇跡』感想~ありふれた小さな出会いを、奇跡と呼べるかどうか


5年程前の映画になりますが、昨日もう一度見る機会があったので、感想と思ったことを。
『図書館戦争』でおなじみの人気作家、有川浩原作の映画です。

阪急電車というのは、大阪の北の方と、兵庫あたりを走っている私鉄のこと。
外観はえんじ色で、内装もおしゃれ。高級感の漂う電車です。

『阪急電車 片道15分の奇跡』は、どこかやりきれない思いを抱えて生きる人たちの物語。
阪急電車の車内や駅で出会った見知らぬ人と会話することで、それぞれ自分自身を見つめ直し、少しずつ前へと進み始めるというもの。

登場人物は、結婚予定の彼を職場の後輩に盗られた女性、大学受験を控えた受験生、暴力を振るう彼と別れようか迷う女性、ママ友の食事の約束を断れない奥さんなどなど。
(書いてて気づいたけど、女性多いなー)

ありふれているけれど、あたたかい。
小さな出会いが生み出す奇跡の連なりが、穏やかに表現されています。

やりきれない気持ちが昇華するキッカケは、意外と些細なことかもしれない

この映画を見ていて思ったのは、人が抱えているやりきれない気持ち、苦しみ、悩みは、案外些細なキッカケで、やわらぐのかもしれない、ということ。

私の場合は、落ち込んで自信を無くしているときに、見知らぬ人(お医者さんとか店員さんとか)にちょっと優しくされると、それだけで少し気分が楽になったりします。(単純ですが。笑)

浮上するキッカケって、意外と些細なことだったりするんですよね。

この映画では、自分の中の思いを、電車内や駅で出会った見知らぬ人に語るシーンがたびたび出てきます。
もちろん、話すだけで、問題が単純に解決するわけではないのだけれど。

自分の中の奥の方で、独りでずっと抱えていた、ドロドロと濁ったやりきれない気持ちは、見知らぬ他人だからこそ話せる。オープンにできる。
話しているうちに、自分の中で問題が整理されたり、話相手から背中を押されたり。

以前からの知り合いとか、親しい人じゃないからこそできることもあるんだな、と思いました。

電車で出会った見知らぬ他人は、自分の今までの人生を知らない。まっさらの状態。
だから、これを話したら嫌われるかもとか、みっともないから話したくないとか。
そういうブレーキをかけずに、自分の中で溜め込んでいたやりきれない気持ちを、解放してあげることができるのかも。

ありふれている出会いを、奇跡と呼べるかどうか

この映画は、見知らぬ他人が出会い、少しばかり自分のこと、人生について語らい、それによってそれぞれの心が癒されていく様を描いた映画。

そういう小さな出会いを次々と見せられるので、映画を見終えた人の感想の中には、「都合が良すぎ。奇跡と呼べるものではない。」といった意見もあったりします。

確かに、映画の中では小さな出会いが頻発するので、そういった意見があるのも分かる。
(まあ、映画ですからね)

けれども、もし。自分にそういう出会いがあったとして。
その小さな出会いで、その時の自分が少しでも楽になれたのであれば。良い方に変われたのであれば。

「見知らぬ他人だから」とか「少し話しただけだから」とかじゃなくて、大いに「奇跡」扱いすれば良いじゃないか、って私は思います。
その方が、人生ずっとお得。

小さな出会い自体はたびたび起こることで、特段珍しいものではありません。
電車の中では無いとしても、旅行先だとか、よくいくお店で、とか。
ありふれた出会いって、意外とある。

そしてこの映画のように、ほんの小さな出会いが、その人にとって前を向くキッカケ、状況を変えるキッカケになることもある。

世の中には、見知らぬ他人がたくさんいて、その流れの中に自分もいて、時には「自分はたった一人だ」と思ってしまいがちだけど。

小さな出会い、をできるだけ大切にして生きていきたいなあ、と思う今日この頃。